知れば迷い



「珍しく暇そうじゃないか、勇さん」
 平家池の水辺に腰を下ろして、ぼんやりと池に小石を投げている勇の背に、良循(歳三の実兄)は声をかけた。
「義兄さんですか……」
 良循は歳三とは7つ違いだから、勇よりも6つ年上になる。
「新選組の局長ともあろう者が、そんなにぼんやりしていてはいけないな」
「はぁ」
 勇はまた小石をひとつ、投げた。
「歳三が、また迷惑をかけたのか?」
 言いながら良循は勇と並んで腰を下ろす。
「あいつは迷惑なんかかけないですよ……」
 「子供の頃から手のつけられない悪童だった。ま、諦めてくれ」
「……………」
 反応のない相手にじれたように、良循は勇の横顔を見た。
「いったいどうしたって言うんだ。あんたのそんな鬱な顔は見たことがないぞ」
「………」
「歳三のことなんだろう?」
「はぁ」
 普段勇は愚痴をこぼすようなことはない。けれど、相手が歳三の実兄となると、多少気も緩めてしまうものらしい。
「………歳三は、やっぱり女が好きなんですよ」
 一瞬びっくりしたような顔をした良循だったが、すぐに弾かれたように大声で笑い始めた。
「あはははは。何を言ってるんだ今更。わかりきったことを」
「昨夜も女の匂いをさせて戻ってきた」
「で、嫁にしたい女がいるとでも言ったか」
「いや……」
「そうだろう、あいつがそんなことを言うわけがない」
「………」
「………それとも、妬いてんのか、勇さん」
 良循は面白そうに勇の顔を覗き込んだ。
「………」
「歳三の女癖が悪いのは知っているだろう。あいつが一人の女に執着するならいざしらず、手なづけた女は星の数ほどいるんだ。ってことは、遊びだよ。あんたが妬くことはない」
「……歳三は、俺といるのと女といるのと、どっちが嬉しいのか。考え出したら気になりましてね……」
 寂しそうな勇の横顔を見ながら、良循はいきなり妙なことを言い出した。

「   しれば迷ひしなければ迷はぬ恋の道
     しれば迷ひしらねば迷ふ法の道    」

 勇は眉をひそめて良循の顔を見た。何が言いたいのかわからないらしい。
「この句、わかるか」
「いえ」
「誰が詠んだ句が、わからぬか」
「………」
 歳三の句だ。勇は何故かそう思った。
「これは、あんたへの想いを詠んだ句なんだよ、勇さん」
「え」
「あいつが26の時、大きな病をして、あんたと4カ月くらい離れて療養したことがあった。覚えているか」
「勿論ですよ。俺は歳が恋しくて、何度、忍んで逢いに行こうかと思ったことか」
「療養中の君たちの逢瀬を禁じたのは、この私だったな」
「あぁ、そうでしたな」
「歳三も、あんたのことが相当恋しかったと見える。あの時にこの句を詠んだのだよ」
「…………」
「この二つの句。世間では一方を縦線で消してある、と言われているようだが、実は違う。一方を丸で囲んであるのだ」
「…………」
「男同士の愛は法では認めてはもらえない。夫婦にはなれない。あの時、離れているのを機会に、あんたと別れようかと思っていたらしい。でも、あんたを想う心はどうしても隠せない。別れられない」
「…………」
「歳三が選んだのは、どちらだと思う?『法の道』と『恋の道』と」
「…………」
 勇は動悸が高まるのを覚えた。知らなかった。歳三が句を詠むのは、彼の唯一と言ってもいい趣味だと言うことは当然、知っていた。
 しかし離れていたときに、こんな句を詠んでいたとは………。

「あいつが丸をつけたのは、『恋の道』だ」
「!」
 びくり、と体が大きく動いたのを勇は自分でわかっている。
「『法』より『恋』を選んだのさ。自分も、あんたも、共に苦しむのを承知で、それを選んだのだ。わかってやってくれぬか」
「あ………」
 勇は瘧が落ちたように体が軽く、けれど熱くなるのを感じていた。
 歳三が女と遊ぶのは、自分が男であることを忘れないため。勇に抱かれ続けて、その快楽に溺れて女を抱けなくなったとしたら、男としての誇りが失われてしまう。それを歳三は畏れていた。
 その言葉は、勇には頭では理解できていても、理性ではどうしても許せなかったのだ。紛れもない、嫉妬。
 けれど、自分の知らないところでの歳三の心にこうして触れてみると、彼の想いがわかるような気がするのだ。
「義兄さん………話してみて、よかった」
「歳三を大事にしてやってくれ。あれはあんただけが頼りなんだ」
「はい!」
 飛んでいって思いきり抱きしめたい!疼くような思いに駆られ、勇は一気に立ち上がると大股で〈梅之間〉へ歩き始めた。

 勇のそんな思いも知らずに、歳三は相変わらず黒紋付き姿で執務室に篭り、忙しく書類に目を通している。
(終)























オ・ト・ナの耽美城TV



 ここは、久しぶりの梅之間の寝室。
 時刻はもう、深夜の2字(時)を回っている。

「歳、もっと足を、そう………」
「あ………ぁ、もぅ………っ!」
「まだだ。お前の身体を傷つけたくないからな。たっぷり時間をかけて、柔らかくしてから………っ!!」
 勇が体を起こし、とっさに枕元の刀を掴んだのと、寝室の襖が勢いよく開いたのとは殆ど同時だった。
「誰だっ!」
 歳三の身体を庇うようにしながら、勇は素早く鯉口を切り、侵入者に鋭い目を向ける。
 カメラマンと音声を従えた男がゆったりと微笑んだ。
「耽美城TV、突撃リポーターオトナ組です」

「………伊東………参謀………」
 唖然とした顔をしている勇を横目に、リポーター伊東は芹沢カメラマンの構えているカメラに向き直った。
「みなさま今晩は。オトナの耽美城TVドッキドキ生中継、今夜は梅之間からお送りしております。踏み込んだ時、お二人が全裸で重なっていた劇的な瞬間はしっかりとご覧になっていただけましたでしょうか」
 背後から飛んできた枕を、まるで後頭部に目があるかのように簡単によけてから、伊東はちらりと振り返った。
「おや、副長。意外と意識はしっかりしていらしゃる。さては、お伺いするのが、ちょっと早すぎましたかな」
 歳三は布団を身体に巻き付け、逆毛を立てて猫のように唸っている。
 勇が、溜息をつきながら伊東に声をかけた。
「どうやって入って来たんだ、伊東君」
「耽美城実行委員会から、合い鍵を預かって参りました。TVリポーターの特権です」
 ちゃらちゃらと合い鍵を振って、伊東は優雅に微笑んだ。その隙に、どさくさに紛れてするすると側に寄ってきた音声担当の清河に、歳三はもう一個の枕を掴んで威嚇して見せている。
 その姿を見て、伊東はいかにも残念そうな顔で言った。
「やはり、早すぎたようですねぇ。もう2字だから真っ最中かと思っていたのに」
 それに対して勇が、さも申し訳なさそうな顔で答える。
「今夜は始めるのが遅くてなぁ。まだ前戯の最中だったのだ」
「あんたはどうしてそう余計なことを言うんだっ!(泣)」
 清河を殴りつけてから歳三は、更にしっかりと布団にくるまりながら喚く。
「ここまで見られたら、隠したって仕方ないぞ、歳」
「本番に入っていたら、副長の恍惚とした悩ましいお顔が、お茶の間のみなさんに生中継で伝わったのに。非常に残念でした。さ、続きをどうぞ」
「伊東っ!てめぇ」
「あ、いいんですか。立ち上がったら見えちゃいますよ。生中継なんですから気をつけていただかないと。もっとも、耽美城TVは、何を映してもおっけーだそうですから、副長の美しいお身体を見せていただければ、それなりに、かなりの視聴率が取れるとは思いますが………」
「いや、伊東君。私は女房の裸をTVに映させる趣味はないぞ。これは、私だけのものですからな」
「おや、近藤局長。それはさみしいおっしゃりよう。貴方のテクニックを是非学ばせていただきたかったのに……」
「そ、そうか、伊東くん。いやぁ、歳三を悦ばせてやれるのは、城広しと言えど、この私くらいでしょう。私はもう、歳三が可愛いくて、可愛いくて、ならばせっかくだ。寝技の公開と参りま……」
「お、お、お前らまとめて出て行けーっ!!」

「………副長…………」
 隣の若竹之間では、山崎烝が遅い夜食を取っている。
 尻尾の焦げた焼き魚にお銚子一本。
 盃が溢れるのにも気づかず、鼻血が垂れているのにも気づかず、彼は銚子を傾けたまま、TVをぼうっと見つめていた。
(終)(1996/08/02 作品)

















歳三の櫛・1



近藤勇      土方歳三
私の小説のイメージイラストです。


 〈梅之間〉の二之居間で、吉弥は鏡を覗き込み、髪を梳きながら鼻歌を歌っていた。
 風邪がまだ治りきらない勇は、鼻をぐすぐすいわせながらも、今日は黒谷に出仕している。
 〈梅之間〉には大きな鏡は風呂場にしかなかったが、身だしなみには特に気を使う吉弥が、どこからか大鏡を持ち込んできたのだ。
 普段は一之居間か、二之居間に置きっぱなしになっているのだが、夜になると勇が寝室へちょっと拝借している時があるのを、吉弥は知らない(笑)

 「あ、歳三さん、お帰りなさーい」
襖が開かれたままの隣の一之居間に歳三が入ってきたのを鏡越しに見ながら、吉弥は手を休めることなく、声をかけた。
 鏡の中で一瞬歳三と目が合ったのだが、歳三はその鏡を見たくない、と言わんばかりに、直ぐに目を逸らした。この鏡が勇との閨房で、歳三の羞恥の源になっていることも、勿論吉弥は知るはずもない。
 が、すぐにその歳三が、はっとしたように再びこちらを見た。
「吉弥、その櫛は……」歳三が気になったのは、鏡ではなく櫛の方だった。
「ああ、これ?」吉弥はすっと髪から櫛を離すと、それを片手で高く掲げてひらひらと振ってみせた。
「へっへー、気に入っちゃった。もらっちゃおうかな」 渋い紅色に塗られたその女物の櫛には、派手な装飾が施されているわけではない。ただ、地味に梅の花枝が品良く彫られている。決して高そうなものでもない、普通の櫛であった。
「お前、まさか……」
「歳三さんの文箱の底の方にあったんだよ」
「よこせ、人のものを勝手に!」歳三が近寄る前に、吉弥はひらりと廊下に出た。
「やだ。気に入っちゃったんだもん、これ」
「櫛が欲しいのならいくらでも買ってやる。それは、だめだ」
「……忘れられない女の、思い出の品?」
探るような上目遣いで、吉弥は歳三を見る。
「お前には関係ない」
「そんなものを大事にしていたら、近藤先生が嫉妬しちゃうよ。これは私が預かっておきます」
そう言って吉弥は懐に櫛を入れると、庭先から外へ飛び出していった。
『まったく……』
歳三はさすがに追いかけるような真似はしなかったものの、苦い顔で遠ざかる吉弥を見つめていた。

『なんか、いいんだよなぁ(*^^*)』
吉弥は歳三から取り上げてきた(笑)櫛を、釣り殿に座り込んで眺めていた。
陰間茶屋に勤めていた頃、町人どもが一生かかっても買えないだろうほど高級な櫛や簪を、贔屓の客から山のように貰っていたこの少年にしてみれば、この櫛などは、安物もいいところである。
『けど、なんか、いいんだよなぁ(*^^*)』
古い物のようではあるが、持ち主の歳三が和紙にくるんでひっそりと、大切にしまってきたのだろう、傷みなどはまったくなかった。
 その持ち主の大事に想う気持ちがこの櫛に宿っているのかもしれない。見ていてなんとも心やすらぐ櫛なのだった。
 それだけに、歳三とどんな関係のある女の櫛だったのだろうと思うと、吉弥の胸中は穏やかではない。
「何を見てるんだ、吉弥」
急に声をかけられて、吉弥は振り向いた。
「あ、大作お兄さん」
歳三の直ぐ上の兄の大作であった。城のメディカルセンターで住人の健康管理をしている。
「どこかへ往診に行ってきたの?」
「ああ、沖田君のところにね……。おや、その櫛は……」
大作も櫛に興味を持ったらしい。吉弥は自慢げにそれを見せびらかした。
「いいでしょう」
「それは、歳三のじゃないか?」
「もらったんだよ」
そういう吉弥と櫛をじっと見比べていた大作が、少年の隣に腰を降ろしてたしなめるように言った。
「嘘をつくもんじゃない。盗ってきたのか」
「人聞きの悪いことを言わないでよ!ちゃんと歳三さんに『ちょうだい』って言ってもらったんだ!!」
むっとして言う吉弥の目を、大作はじっと見つめる。
「で、『やる』と言ったか、歳三は」
「……言った」
吉弥はちょっと目を逸らして、弱い声音で呟いた。
「そんな訳はない。歳三は何があってもその櫛は離さない」
「じゃあ、なんで歳三さんは私を捕まえて奪い返そうとしなかったの?」
ムキになって言う吉弥に、大作は何を思っているのか、くすくす笑いながらこう言った。
「お前を追いかけて捕まえてまで取り戻すのは、あいつのプライドが許さないんだろうよ。そんなことが人に知れたりでもしたら……くっくっく」
「言ってることがわかんないよ」
全然わかんない───と、吉弥は小さな頬を膨らませた。
「だがな、あいつにとって大事なものには違いないんだ。いい加減返さないと、お前斬られるかもしれないぞ」
「え……」
「ふっ、それは冗談だが……」
と、言いつつも、大作の瞳は冗談を言っているようには見えなかった。

 〈梅之間〉への廊下を歩きながら、吉弥はいろいろ頭を巡らしている。
『ただ返すのは癪だな。そんなに大切な女との思い出なら、近藤先生に言いつけて、あの二人の仲を裂いてやらなくっちゃ』
 お忘れの方々も多いかも知れぬが、吉弥は、歳三に横恋慕している。15才の少年でありながら、歳三を抱きたいと、自分のものにしてしまいたいなどと大それた事を思っているのだ。
『そして、伯父様を羨ましがらせてやるんだ』
伯父とは、伊東のことである。
『近藤先生と、別れさせてやる』

 〈梅之間〉に行くと、勇が黒谷から戻っていて、二之居間で一人ぽつねんと炬燵に入っていた。歳三は入れ違いに出掛けてしまったらしい。
「ねぇ、先生」
 するする、と勇の横に小さな身体を滑り込ませて、吉弥はわざと沈んだ声で話しかける。
「うん?」
「先生には可哀想なんだけどさぁ、歳三さんには、死ぬほど好きな女の人がいるみたいなんだよ」
「……」
「先生、歳三さんのこと、好きなんでしょ?」
「うむ」
「じゃあ、自由にしてあげなよ、歳三さんのこと。本当に好きなら、相手の幸せを願うものだよ」
「どこで聞いてきたんだ、そんなこと」
勇はうっすらと笑いながら吉弥を見おろした。
 若い頃から、互いのためにと、自分の想いを何度も押し殺し、悩み苦しみ続けてきた勇と歳三の二人の長い年月は、この少年にはわかるまい。
「常識さ」
「で、歳三の好きな女というのは?」
「櫛だよ」
「櫛……?」
「これ」
吉弥が懐から出して机の上に置いた櫛を見て、勇はハッと表情を強ばらせた。
「こ、これは?」
「歳三さんがさ、大事に大事に和紙にくるんで文箱の底にしまっていたの」
「……本当か?」
「私が欲しいって言ったのにダメだって。これを奪い返すために、私を斬るかもしれないって。そんなの怖いから返しにきたんだ。それ程これは歳三さんにとって大事な櫛なんだ」
「……」
勇の表情が歪むのを見て、吉弥はしてやったりとほくそえんだ。嘘はついていない。後で歳三に恨まれる謂れはない。
「大事な女(ヒト)のものなんだよ、きっと」
「そうか……。歳、そうだったのかっ!」
勇が思わずそのごつく太い指で自分の目頭を押さえたのを見て、さすがに吉弥は多少うろたえた、が、あと一押しとばかりに言ってみる。
「どんな女(ヒト)のものなんだろうねぇ。歳三さん、きっとその人のことがものすごく好きなんだね……。忘れられないんだね」
「そうだったのか、歳……」
歳三が大事にしているというその櫛を見て、勇は再び呟いた。
「綺麗な女(ヒト)なんだろうなぁ」
思わせぶりに吉弥が言うと、勇はそれを聞いてるんだか聞いていないんだか、いきなり弾んだ声で言った。
「これは俺が歳三に買ってやったものだ」
「うっそー!」
「嘘じゃない」
「だっていくら近藤先生に買ってもらったからと言って、こーんな安物の櫛を大事にする莫迦なんかいないよう。煙管とか印篭とかまらまだしも、櫛だよ?大の男が……」
「すれっからしのようで、何も知っちゃいないんだな、お前は」
勇はくしゃくしゃ、と吉弥の髪を撫でた。

2に続く。