歳三の櫛・2
歳三の大事にしていた櫛は、勇からの贈り物だと知って吉弥は憮然としている。それと同時に、大の男がそんなものを大事にしているという歳三の気持ちも理解できないし、納得も出来ない。「櫛を送る、と言うのにはな、吉弥。求婚、つまりプロポーズの意味があるんだぞ」
「えぇ?」
「その櫛を受け取ったということは、プロポーズを受けたのと同じ事になるのだ」
「……」
「結婚というのは、『苦しくて、しんどい』。その頭文字を取って「くし」。
これから俺と一緒に、苦しいのもしんどいのも、共に分かち合って生きてくれるか?、という意味だ」
「そうなのか……」
「俺がこれを歳三に送ったのは、もう10年以上も前のことだ」
二人並んで炬燵に入ったまま、勇は昔を懐かしむように語り始めた。嘉永6年(1853)正月
18才の勇───この頃はまだ彼は勝太という名前だった───は、堂々とした態度で櫛屋ののれんを分けた。
しかしその顔は、緊張と羞恥ではっきりとわかるほど上気している。
男が櫛屋に入るのは、女への贈り物を買う以外には、ない。店の中にいた娘達が、入ってきた勝太を見て、顔を見合わせてくすりと笑う。
しかし、ここで逃げ帰るわけには行かない。
「た、頼む」
出てきた櫛屋の女房は、無骨な、それでいて人の良さそうなその青年を見て思わず微笑んだ。
「いらっしゃいまし」
「櫛を、貰いたいのだが」
「はい。どんなものにいたしましょう?」
「う……」
勝太はますます顔を赤らめた。握り締めた拳は汗でびっしょりである。
哀れな青年を見て、女房はなんとか助けてやりたくなった(笑)
「いろいろありますから。どうぞ、お好きなのをご覧になって……」
奥から次々と櫛を出してやると、青年は、慌てたように、
「あ、あまり高いのはダメだ。持ち合わせがないのだ」と言った。勝太は貧乏道場の養子である。小遣いなどもらえる立場ではない。が、父の周斎が気さくな老人で、ちょっと弟子からの謝礼が入ると勝太に、『たまには、女と遊んでこい』と僅かばかりの金をくれる。勿論、店に上がって妓を買える程の金ではない。せいぜい岡の女と遊ぶ程度の金だ。
もっとも、もう歳三と深い仲になっている勝太は、女と遊びたいなどとは、露ほども思ったことはない。
『社会勉強だぜ』と歳三にせき立てられて、一緒に女を買いにいったことはあるが、さしていいとも思わなかった。なにしろ歳三という極上の味を勝太はいつも堪能しているのだ。
だから父がくれた小遣いは貯めて置いた。
また出稽古でもらった謝礼金も『お前が稼いだのだから』と周斎は、少し分けてくれた。
そうやって貯めてきた金を握り締めて、今、勝太は櫛屋に来ている。「お色は?形は?」
そう聞かれて勝太は愛する者の面影を脳裏に浮かべた。
別に歳三の髪に櫛を飾るわけではなく、先年知った『櫛は求婚の証』というまま、歳三にプロポーズをするために買うだけなのだが、せっかくなら、歳三に似合う物を買ってみたい、と思った。
「色は……紅色が好きなのだ。あと、梅が好きだから、梅の彫ってあるのを……。派手で下品なのではなく、地味で上品なのがいい」
歳三を思うと、すらすらとイメージが湧いてくる。
「美しいお嬢様なんですね」
女房に言われて勝太はとっさに、「俺は男だ」と訳の分からないことを口走り、女房をついに笑わせてしまった。
「いいえ、貴方様は男の方でいらっしゃるのはわかりますよ。そうではなくて、お相手のお嬢様のこと」
笑いながら言う女房に、勝太は耳まで真っ赤になった。
「う、うむ」
「女性を派手なもので飾るのはたやすいこと。本当に美しい方は、地味なものを身につけることで、むしろその美しさが引き立つものです。素晴らしくお綺麗なお嬢様なのでしょうね」
「それはもう、この世のものとは思えぬほどだ」
「ならば、これなどはいかがでしょう?」
紅色の櫛。梅の柄。勝太は一目見てそれが気に入った。
「それを包んでくれ」
そう言った時、勝太は後ろから肩を、ぽん、と叩かれてぎくりと振り返った。
「義兄さん……」
歳三のすぐ上の兄、大作がニヤニヤと、勝太が選んだ櫛を、勝太の肩越しに見ていた。手持ちの金では僅かに足りなかったのだが、女房の好意で値引きしてもらって、勝太は櫛を大事に抱えて店を出た。
「好きな女でも出来たか、勝太さん」
店を出てから、大作が声をかける。
「まさか」通りを歩いていると、櫛屋の中に男がいるのを珍しく思い、気をつけて見てみるとそれが勝太だったので肩を叩いたのだと言う。
一年前の正月、家人が留守なのを幸いに、歳三の実家の奥の部屋で二人で愛し合っていたところを、年始参りに来た大作に見つかったことがあった。
それ以来、勝太と歳三にとって大作は、密かな理解者でもあり、逆に頭のあがらない相手でもあるのだ。
「ほう」
大作は目を細めて勝太を見る。ここまで見られてしまっては仕方がない。
「これは、歳三に贈るんです」
はっきりと言った。
「勝太さん、俺は別に歳三に言いつけはしないよ。好きな女が出来たのなら隠さなくたっていい。目出たい事じゃないか」
「……義兄さん、俺は一年前のあの日、義兄さんに言ったはずです。一生歳三だけを愛し続けると」
そこで初めて大作は、真顔になった。
「じゃあ、それは……」
「歳に、夫婦の証として、受け取って貰うつもりです。だから、歳の好きな紅色と梅の柄を選んだんだ」
「……参ったな。」そう言って大作は、困ったように笑った。「それほど好きなのか、歳三のことが」
「はいっ!」
生き生きと幸せそうな勝太の顔を見て、大作は何も言えなかった。大作と別れてから、勝太は早足に試衛館に戻った。
暮れから正月を多摩で過ごしていた歳三が、夕方、こっちにやってくるはずなのだ。勝太は何度も門のところまで出ては、伸び上がるようにして、遠くを見ていた。
「歳っ!」
やがて夕陽が落ち始めた頃、愛しい者の姿を認めた勝太が、力強く迎えに駆け出して行った。歳三がくると、試衛館の雰囲気もがらりと変わる。普段稽古をサボリがちの弟子達も、歳三見たさにマメにくるようになるし、周斎の機嫌もいい。
周斎の若い妻も意地の悪さが少しは消えるし、まだ幼い惣次郎も実の兄を迎えるようにまとわりつくし、何より勝太の元気の出方が数倍違う。
夕方試衛館に着いた歳三を、勝太が独占することが出来たのは、夜もかなり更けてからだった。
「姫はじめ、ってやつかな」
薄い布団の中で、久しぶりに甘い口づけをかわしたあと、勝太が少し照れたように言った。
「莫迦」
「今年の暮れは、俺と一緒に年を越してくれよ、な、歳」
「ああ」
「出来ればさ、お前の中に入ったまま、除夜の鐘が聞きたい」
「新年早々、莫迦言うなって」
歳三は呆れたような表情で勝太の顔を見あげた。
「何が莫迦なものか。来年もその次もその次もその次も……ずっとずっと永遠に……。な?」
顔を逸らしたのか、小さく頷いたのかはわからない。自分の腕に抱かれたまま俯く歳三の目先に、勝太は、昼間買い求めたものをすっと差し出した。
「お前を想って求めた。受け取ってくれ」
「……」
腕の中で歳三が僅かに身じろいだ。櫛、が意味するものを当然歳三は知っている。
「俺と一緒に……」
「これは女に渡すものだ」
勝太の言葉を遮るように歳三は抑揚のない声で言った。
「違うぞ、歳。これは愛する者に渡すものだ。一生、共に生きて欲しいと思うただ一人の相手に」
「だからそれは女だと!」
きっと顔を上げた歳三の目を、勝太はまっすぐに見つめながら、低い声で呟いた。
「女じゃない。お前だ。お前だってわかっているはずだ。わかってて認めたくないとうのなら、今、認めさせてやる……」
「……」
櫛を枕元に置くと、乱暴に歳三の襟を左右に開き、勝太はその上にのしかかっていった。
やがて歳三の、悩ましくも激しい欷き声が静かな部屋に響き始めた頃、重ねられた二人の手の間にはしっかりと赤い櫛が握られていた。
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「ちぇっ。まさか、のろけ話を聞かされるとは思ってもいなかったっ!」
〈梅之間〉で吉弥がフテたように文句を言っている。
「離婚するときは、妻は亭主に櫛を投げ返す。それほどの意味のある櫛をあれからずっと、歳三がこうも大事にしまっていてくれたとは、俺は、ちっとも知らなかった……。」
勇は目を細め、しみじみと、その櫛を見つめ続けていた。結果的に吉弥は、歳三が、彼なりにひっそりと隠していた勇への想いを、思いきり暴いただけでなく、それによって更に二人の結びつきを強固なものにしただけであった(笑)
(終わり)(96/11/28 作品)
ベビーパウダー
お子様部屋で、知章と敦盛の二人からベビーパウダーの効能を聞いた吉弥と鉄之助は、その足で売店に行って、それを買い込んできた。
「鉄、さっそくつけてみようよ」
梅之間に戻りながら、吉弥が鉄之助に言う。
「でも、吉弥さん、これはお風呂上がりにつけた方がいいと、知章さんがおっしゃっていました」
「だからさ、今からお風呂に入ってさ…」
はしゃぐように言う吉弥を、鉄之助は真面目に遮った。
「吉弥さん、まだ私には仕事があるんですよ。これを買いにこっそり売店に行ったのだって、副長に知れたらと思うと……」
「わかったよ」
今度は吉弥が遮る。鉄之助の副長崇拝主義とその真面目な仕事ぶりは、吉弥もイヤと言うほど知っていた。梅之間に着くと、鉄之助は副長の机から書類を集め、天守閣の料亭で人と会っている歳三の元へ届けるべく、すぐに出掛けていった。
吉弥と言えば、早くこのパウダーの良い薫りを我が身にまといたいらしく、勝手に梅之間の風呂場へ直行し、湯を浴びた。
風呂からあがると居間へ行き、買ってきたベビーパウダーを取り出す。
「あー、いい匂い(*^^*)」
ピンクのパフを右手に、自分の首筋にパタパタと粉を叩いては、小さな鼻をうごめかす。
「こんないい匂いの上、汗疹や湿疹にも効くなんて一石二鳥じゃないか。さすがは敦盛さんと知章さんだ」
全身に程良い薫りを纏い終えた頃、ふいに廊下から、勇が顔を覗かせた。
「何をしている。吉弥」
「あ、近藤先生」
「?」
部屋に散っている薫りに勇も気づいたらしい。吉弥は飛び立つようにして勇に抱きついた。
「ねぇ、先生、いい匂いでしょう?」
「そうだな、新しいお白粉か?」
勇は吉弥の首筋に顔を寄せて、くん、と鼻を鳴らした。
「違うよ、これはお白粉じゃなくて、ベビーパウダー」
「ベビーパウダー?」
「お風呂上がりに身体につけると、汗疹や湿疹が出来にくくなるんだよ。おまけにいい匂いでしょう?」
「ほう、そんなものがあるのか」
「先生、汗っかきでしょ、私がつけてあげようか!」
「そうか」かくして、勇は急いで一人で風呂に入り、全身から湯気を立てて、居間に戻ってきた。
吉弥は左手にベビーパウダーの缶、右手にピンクのパフを挟んで、正座して勇を迎えている。
「で、どうすればいいのだ?」
「全部脱いでください。じゃないとつけられません」
「下帯もか」
「当たり前です」
「そうか」
勇はくるくると帯を解き下帯まではずすと、吉弥の前に仁王立ちになった。
「では、頼む」
「先生……」
「うむ?」
正座している吉弥は、目の前に位置する勇をしみじみと眺めた(笑)
「……これが、歳三さんを喜ばせているのですか?」
「ま、そうだな」
勇は、にぱっと笑う。
「いいなぁ、私も、こういうの欲しいなぁ。そしたら歳三さんも私になびいてくれるのになぁ」
溜息をつく吉弥を、勇は仁王立ちのまま見おろした。
「それは違うぞ、吉弥。これがあればいいというものではない」
「では何なのです?」
「む……」
「これ以外、先生には何があるんです? 確かに先生は、優しくてお父上みたいな感じはするけど、顔だってごついだけで全然かっこよくないし、頭だって良くないし、真面目で武骨で、気の利いた冗談も言えないし」
「うむぅ。そう言えば……」
勇は天井を見上げて首をひねる。
「なのに何で歳三さんは、先生のことが好きなわけ? 先生のどこがいいわけ?」
吉弥は立ち上がると、癇癪を起こしたように勇の胸や腹に、パフを叩き付け始めた。「で、あんたは何と答えたんだ?」
夜、執務室で歳三は書類から顔を上げて、斜め向かいに珍しく胡座をかいて座っている勇に視線を向けた。
仕事から戻ってきた歳三がそのまま執務室に入り、書き物を始めてしばらくした頃に、勇がやって来て昼間の出来事を話し始めていたのだ。
歳三の口元には、淡い笑みがある。
「わからん、と答えたさ」
「そうか」
柔らかく笑って、歳三は視線を書類に戻した。行燈の光に映し出された、凄艶とも言える美しい横顔を見つめながら、勇は更に話し続ける。
「実際、お前に懸想している男は、何人もいるんだぞ。昔から数え切れぬ程だ。この城の中にだって、両手に余るほどいるはずだぞ。中には、俺よりいい男もいるだろう、なのに何故、俺なのか……。」
歳三は黙って、書類に筆を滑らせている。
「媾合だって、俺より上手い奴は吐いて捨てる程いるだろうし……」
「…………」
「吉弥に聞かれて、俺も不思議に思ったんだよ。いや、有り難いことさ。お前ほどの男に、多くの人間の中から俺を選んでもらったということは。改めて考えてみると、夢のような気分だよ。本当ならお前は、俺なんかにとっては、高嶺の花だ。 声をかけることすら出来ないような存在のはずだ」
「…………」
「なのにこうして、お前は俺と一緒にいてくれる……。」
「勇さん」
「ん?」
「じゃあ、あんたは、何故俺なんだ?」
そう言って、歳三はまた視線をあげ、勇をじっと見つめた。
「む……」
「何故だ?」
「…………」
勇は、しばらくじっと考えている風だった。その間歳三は筆を休めて、男の顔を見つめ続けている。
やがて勇が、自分の組んだ指に視線を落としてゆっくりと言った。
「お前は、綺麗だ。凛としたところも、気の強いところも、好きだ。でも、そういうことだけじゃない。何故かわからぬが、お前が好きだ。お前と共に生き、お前と共に死にたいのだ。何と言えばいいのか、その……、お前はもう俺の一部なのだ。お前がいないと、俺という人間は存在しないのだ」
「………俺も、同じだよ」
「………」
勇は、ちょっと驚いたように歳三を見た。山鳩色の瞳をまっすぐにこちらに向けたその表情は決して笑ってはいないのだけれど、勇には限りなく、暖かく優しいものに思えた。
「俺だって、あんたと同じだよ、勇さん」
「…………そうか」
勇が、照れたように微笑む。絡み合う視線が柔らかく解け合う。信頼と愛情の絆が深くなる。胸の奥が滲むように暖かくなってゆく。
「…………そうか」
もう一度噛みしめるように言って、勇は笑った。そんな勇を、歳三もまた、普段は決して人前では見せないような微笑みをもって見つめ返す。
「……歳、一緒に風呂に入ろう。吉弥が買ってきてくれたこのベビーパウダーとやらをつけてやろう。お前の肌の薫りがこれに消されてしまうのは、少し惜しい気もするがな……」
「せっかく吉弥がつけてくれたのに、また風呂に入るのか?」
「仕方なかろう。俺はお前と一緒に風呂に入りたいのだ」
勇は立ち上がり、歳三の背後に回ると、その身体をそっと抱きしめて首筋に唇を押し当てた。
「愛しているよ、歳」
甘い香りが漂う、梅之間の執務室であった。(終)96/08/26作品
更に深く……
近藤勇 土方歳三 山崎烝
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